バブル経済のキセキ ~その起源と崩壊まで

80年代の経済動向として、最も大きかったものは「バブル景気」だった。
期間としては、1986年から1991年までとなる。

そもそもの発端は、アメリカからの外圧によるものだった。
レーガン大統領の時代、アメリカは財政赤字と貿易赤字の両方、いわゆる双子の赤字を抱えており、その是正のための方策として、1985年に先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議が行われ、そこで発表されたドル高是正への合意「プラザ合意」に端を発していた。

日本国内では、急速な円高ドル安で国内製造業が大きなダメージを受けたことで、翌86年に日銀は金利の引き下げを実施した。
市中に還流した資金は、銀行が不動産投資に積極的に加担したことで、地価の上昇を招いたことは周知の通り。
加えて、株価も上昇を続け、1989年末の日経平均株価は最高値の38,915円を記録した。

1989年に日銀は政策金利の引き上げを行う一方、加熱状態にあった不動産投資、地価上昇の沈静化のために、1990年3月、大蔵省から金融機関に対して不動産向けの融資割合に上限を設ける「総量規制」の通達を出した。
これにより、貸付による不動産売買に歯止めは掛かり、次第に全国的に地価も下落に転じた。
いわゆるこの「バブルの崩壊」により、過剰なる貸し付けは不良債権となって、国内経済の長期的停滞(失われた20年)へとつながった。

(使用画像は当時の日本銀行券と異なりますが、ご愛敬ってことで)

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